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海外ビジネス

【海外ビジネスのモデルケース】シンガポールドリームを掴んだ日本人成功者

海外で一旗揚げる!
それを目指して海外で仕事をするのはエキサイティングです。

実際に世界各地で起業して成功を納めている日本人はたくさんいます。

今回は日本から比較的近いシンガポールで成功した日本人:森幹雄 氏を彼の自叙伝を基に紹介します。
アジアで負けない三流主義 (ゲーテビジネス新書)

シンガポールで成功した日本人:森幹雄

森氏はシンガポールの日系引越し会社「クラウンライン」の創業者です。

初期の頃は日本でメーカーの購買担当などを経て、シンガポールの外資系引っ越し屋へ就職します。
そこで営業として優秀な成績を納め、のちに引っ越し業を自分で起こし、
現在では東南アジアをはじめ世界に拠点を置く独立系の引っ越しカンパニーまで成長しています。

成功して慈善事業を行うまでに大きくなり、
サッカーの中田英寿がシンガポールへきた際にも一緒にプレーしたそうです。

引っ越し業に止まらず、
・ラジオDJ
・東南アジア各国情報誌の発行
などのコンテンツ事業も展開しまさに「自分の夢を叶えた」日本人です。

目標はでっかく:ベニハナ青木をめざす

そんな森氏には目標とする日本人がいました。

森氏よりずっとずっと昔に渡米し、アメリカで鉄板焼き「ベニハナ」を創業した故・ロッキー青木氏です。
ロッキー青木氏もまた世界に展開するレストランの経営者です。

ちなみに、青木氏の娘はモデルのDevon Aokiで、
息子はDJのSteve Aokiです。
二人ともめちゃくちゃ有名です。

森氏はそんなロッキー青木氏の”1代で成功する”モデルを目標にして起業しています。

赤貧でも逆に活用する

森氏は子供の頃は裕福な家庭ではなかったそうです。
新聞営業のバイトをやっていたそうですが、
営業成績を上げるためになんとかできないかと営業トークを試行錯誤したそうです。

ポイントは「貧しさを武器にする」ということでした。

「営業成績があがれば賞品がでる。それが欲しいから新聞契約してくれ」とお客さん先へお願いして回ったそうです。
現代で普通に考えれば、無理っぽいことは想像に容易いですが、
1960年代当時は、貧しい子どものお願いでも聞いてくれて契約してくれる人が多かったそうです。
時代と自分ができることを組み合わせて営業成績を上げていったのですね。

また貧乏であるからこそ知恵も活かします。

シンガポールへわたる際にジュラルミンスーツケースをなんと自作してしまうのです。
当時はピカピカのスーツケースは当然高級品でした。
いまでもその価格は高いままで海外ビジネスマンん憧れです。
それを森氏は知り合いの職人さんに頼んでオーダーメードしてしまうのです。

知恵を使って、いいものを安く生み出す。

海外展開するうえでの幾多の困難

シンガポールでひどい扱いをされたことも本の内容からみて取れます。

渡航した当時は、呼び鈴で呼ばれて名前で読んでくれることはありませんでした。

また、シンガポールで独立したあとも度重なるビジネスのトラブルと、やめていく従業員たち。
時には自分の傲慢さが原因となることもあったようです。

それでも自問自答やまわりへの感謝を繰り返すことで事業を成長されています。

海外で仕事をする人はぜひ

夢をもって挑戦する人のノンフィクションの物語がそのまま書かれている本です。

なぜ海外なのか?
なぜ独立起業するのか?

自分の中にある野心・目標と向き合いながら成長して自己実現を達成する。

ぜひ海外ビジネスマンには一読してもらいたい作品です。

スマートな海外ビジネスなんてなくて、
そこには汗水たらして頑張って成長するドラマがあります。

スタートが極貧でも考え方ややり方を工夫すれば成功できる。

そんなことが学べる一冊となっています。

森氏がパートナーの女性に婚約を申し込む場面はジーンと染みるものがあります。

アジアで負けない三流主義 (ゲーテビジネス新書)